生まれたのは、四国にある田舎の町でした。
買い物をするためには親の車で1時間かけて県庁所在地の繁華街(といっても、都会の人たちからみればただのシャッター街)に行く他なく、つい数年前にようやく携帯電話の基地局ができて通信環境が整ったばかりの不便な土地で育ちました。都会の暮らしをTVで見ていると、ご多聞に漏れず安直に憧れの感情が芽生え、大学進学時に東京の学校を選び、そのまま東京で就職することになりました。

“烏合の衆”だから冷たく感じる
東京で暮らしているとよく感じたのは、他人に対して人が冷たい、ということでした。道を聞いてもそっけない態度だったり、お店での接客もどうもよそよそしい感じがします。大学入学から数えて5年を越えてもなお、この違和感に慣れることはありませんでした。
大学時代からずっと同じワンルームマンションに住んできましたが、ご近所付き合いも皆無で、エレベーターで住人と出会ってもお互いに軽く会釈するだけ。
いざという時に相談したり、頼ったりすることのできる関係性など築くことはできないままでした。
よくよく考えてみると、東京には、自分と同じように地方から出てきた人がたくさんいます。いや、むしろ地元の人間よりも大多数がそうなのでしょう。
だから、道を聞かれてもその土地のことは知らないし、他人と共通の話題といえば天気やTV番組のことなど、差し障りのない話しか出てこないわけです。
決して個々の人が冷たいというわけではなく、親切な対応ができない理由は自分にもわかる気がしました。
介護をきっかけに、地元へ戻ることに
そうこう言いながらも、それなりに都会の暮らしにも慣れてきた社会人3年目のある日、母がある病気で入院することになったと連絡がありました。
父も身体が強いわけではなく、農作業の合間に母の面倒を見るのは大変だと考え、私は意を決して地元に戻ることを決意しました。
幸い、若者が少ない町です。仕事は選ばなければいくらでもありましたので、再就職はスムーズにできました。全国にある、農家の味方で仕事です。地元の友達も多く働いているので、生きた情報を事前に収集できたことも大きかったです。
数年振りに戻ってきた地元の町は、それはそれは何もないところでした(笑)。Wi-Fiもまともに繋がらない実家に再び住むということに、最初はとても不安に感じました。都会暮らしの習慣とは180度異なる生活に、戸惑いがなかなか消えませんでした。18歳になるまで過ごしてきたはずなのに・・・。
自然が目の前にあるという幸せ
実家の周りには畑しかなく、夜になると外は真っ暗になります。夜空を見上げると、東京にいた頃には見たことがないほどのたくさんの星が煌めいていました。こんなに近くに、たくさんの星が自分の部屋から見えていたなんて、高校生の頃には気づいてもいなかったことでした。
また、農家である私の実家では、朝がとても早く、これも生活リズムを作るのに最初は苦労しました。でも、朝に畑仕事を手伝い、汗をかいてから食べる朝ごはんは最高でした。自分たちの畑で採れた野菜の味は、どんな高級レストランで食べる料理よりも美味しい、と感じることができました。
太陽が昇ると働き、陽が落ちると休む。
自然に身をまかせる生き方は、東京の会社勤めではとても味わうことのできないものでした。残業なんて、どこの会社でもやっていません。そもそもみんな軽自動車で生活していますので、夜遅くまで飲み歩くこともなくなりました。
収入は減った。しかし・・・
実際、地元で働き始めてからの収入は、東京で就職した会社の頃と比べるとかなり減ってしまいました。ですが、実家暮らしということもありますし、何しろ物価が安いおかげで、経済的に困ることは今のところありません。それよりも、地元の仲間と再会できたこと、畑で採れたばかりの新鮮な野菜をたらふく食べられること、遅まきながら親孝行できていること。
それらを考え合わせると、今回のUターン就職は、自分にとっては間違いなく良い選択であったと胸を張って言えます。最近、やっとネット環境も整いました。これからは、田舎にいながらにしてできる仕事もどんどん増えていくはずです。私も生まれ育ったこの大好きな場所から、色々なことを発信し、元気で楽しく生きていきたいと考えています。
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