農家の家に生まれた私は、幼い頃から農業に従事する祖父や父の姿を見て、子供ながらに大変な仕事だなあ、と感じていました。その一方で、採れたての美味しい野菜を毎日のように食べて育ったこと、学校が休みの日には祖父や父と一緒に畑に出て農作業を手伝っていたことは、ずっと楽しい思い出になっていました。
大学から東京に出て、そのまま東京に残って就職、結婚したのですが、農業への憧れの気持ちを捨てきれずにいたのです。

妻の後押しがあり、地元へ戻る
東京でエンジニアとして働いていたのですが、ある年自分の実家に帰省した際に、都会育ちの妻から「こんな自然がいっぱいの土地に住んでみたい」と言われたことが、私たちの人生を大きく変えることになりました。一念発起して会社を辞め農家として転身する希望を会社に告げると、上司も驚きつつも応援してくれたのは幸いでした。
また、実家は古いながらも広大な敷地を擁する一軒家でしたので、二世帯にリフォームすることはそんなに難しい話ではありませんでした。
嫁・姑問題みたいな争いもまったくなく、むしろ私以上に母と仲良くしてくれた妻には感謝の気持ちしかありません。
子供も最初は転校することを嫌がっていたのですが、大好きな祖父母と一緒に暮らせることや、自然がいっぱいで遊び放題の環境に次第に慣れていきました。何よりも、長く東京に住んでいて忘れていたのですが、こんなにも空気が澄んでいて水が美味しかったのか、と、驚きの日々でした。
私たちの田舎暮らしがこうやってスタートしたのです。
異文化コミュニケーションに戸惑う
父に一から教わって農業の仕事をスタートさせたのですが、自分の家族だけで農作業が完結するのではなく、地域の繋がりやJAの協力があってはじめて仕事が成り立っているのだ、という事実を知った時は驚愕でした。田舎の村ですから、その文化感は昭和中期から何も変わっていないかのようでした。
パソコンを使うような人も皆無で、基本的には狭い村の中ですから会って話すことが大前提。当初は「**(苗字)の倅か!」と、懐かしく思い出してくださる方が多かったものの、一人前の農家として仕事の話になると、素人だからという言い訳は通用しません。これまでの慣習やご当地での「ルール」に戸惑うことの連続でした。
メールで送れば数分で済むような作業も手作業で何倍もの時間を割いていたり、カルテルのような暗黙の了解といった話もあって、「それは違うでしょう!」と叫びたくなるようなことも一度や二度ではありませんでした。
でも、郷に入っては郷に従え。父や祖父からアドバイスをもらいながら、この村の農家として成功することを目標に、仕事に向き合うことにしました。

身体が悲鳴を上げる
エンジニアとして仕事をしてきた私にとって、毎日朝から陽が落ちるまで立ちっぱなしで作業することは、身体的に大きな負荷となりました。
最初は、祖父でもやっている位の負荷だから楽勝だろう、とタカを括っていたのですが、これはもうとんでもない間違いでした。
祖父や父は、何年も何十年もの間、毎日ずっと繰り返しこの仕事をしてきたわけです。足腰の強さからして、まったく勝負にもならないことがはっきりわかりました。
身体のあちこちが痛むようになり、一時期は朝起き上がることができなくなったりもして、果たしてこの先仕事を続けていけるのだろうか?と、とても不安になりました。しかし、人間の身体とはよくできたもので、その辛さのピークを乗り越えた後は、少しずつ重労働にも身体が慣れて、仕事にも馴染んでいくことができました。筋トレをしたわけでもないのに、腕まわりは随分とゴツくなってしまいました(笑)。
自然と共に暮らす
何よりも、心の平穏が手に入ったことが本当に幸せでした。
自然と共に暮らす。文字にすると単純なことですが、朝太陽が昇ると目を覚まし、陽が暮れるとみんなで夕ご飯。
その日畑で採れた野菜をたくさん食べて、みんなで笑いながら食事をする。
こんな平凡な、でも幸せな時間は、エンジニアをしていた頃には味わうことができませんでした。毎日残業続きで、オフィスでカップラーメンをすする日々。子供の成長にも気づくことができていなかったなあ、と反省しています。
自然と共に、ということは、天候に左右される仕事でもあります。年によって収穫ペースはガラリと変化するので、収入も安定には程遠い状態です。
でも、家族と一緒に笑顔で暮らす、というかけがえのない時間を作ることができて、こんなに嬉しいことはありません。
この先は、ちょっと奮発して大きめのトラクターを買い替えるプランを考えています。作業効率を上げれば、もう少し収入も増やして安定させられるのではないか、と、農業界のIT技術の進化にも期待しているところです。
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