
自分が就職したのは、日本経済全体がバブルに湧き立つ80年代半ばのことでした。名門大学を卒業後、大手家電メーカーに就職した私は、一流企業に勤めるエリートという看板を引っ提げて、今では信じられないような多額の給料、ボーナスを得て順風満帆なキャリアを歩んできました。30歳で結婚、2人の子供にも恵まれ郊外に念願だったマイホームを購入。絵に描いたようなサクセスストーリーを歩んできたことで、屈折したプライドを知らず知らずのうちに持つようになってしまっていたのです。
バブル崩壊、名ばかり管理職として会社にしがみつく
その後、バブルが弾けると会社の業績は右肩下がり。あれだけ潤沢にあったボーナスも激減し、妻からは小遣い制を命じられたあたりから、人生の転機を感じるようになってきました。せめて仕事に打ち込むことができればよかったのですが、職場での自分の立ち位置は「名ばかり管理職」。年次は高いので一応管理職のポストを当てられたものの部下はおらず、仕事も閑職で特に燃えるような事もないまま、40代は過ぎてしまいました。特別なスキルも経験も積まないまま50代を迎えた事にも、当時は危機感を持つようなこともありませんでした。
M&Aの憂き目に遭い早期退職の嵐。
晴天の霹靂とはまさにこの事でした。主力製品がどんどん売れなくなり、このままでは企業体としての将来が危ういかも、と思っていたのも束の間。海外の企業に買収されることになり、一気に社内体制が変化しました。同期や前後の世代は新しい経営陣から見ればただの「お荷物」。早期退職という名の下で、どんどんリストラの憂き目に遭っていきました。私自身も、社内にこれ以降の居場所はないと観念し、50代半ばで退職、再雇用してくれる求人を探すことにしました。大手出身なので引く手数多だなどと甘く考えていたのはほんの数日。実際には、歳を食って変に年収レベルが高いだけの大手企業出身者などを欲しがる企業など皆無に等しい、というのが正直なところでした。
なんとか中小企業に滑り込む。求められる人材に・・・?
転職活動は苦戦を極めましたが、前職のツテでようやくとある中小企業から内定をもらうことができました。年収はピーク時の半分、それでも子育てがひと段落した今のタイミングであれば、ぎりぎり許容できる数字ではありました。何よりも、働くことができる喜びを感じ、自分がこれまでに培ってきた大手企業でのやり方を存分に伝えていこうと考えていました。
しかし、当然ながらそんな幻想は木端微塵にされました。上段から物を言う年寄りなど、目障りな存在でしかありません。最初の1年間は、お恥ずかしながら「なぜこいつらは私のアドバイスを聞き入れないのか」と、他責にして憤慨してばかりでした。
社長から諭される。自分の存在価値とは
そんなある日、私を面接して採用を決めてくださった社長に呼ばれました。社長が私に伝えたのはとてもシンプルなことで、「目の前の人間の役に立つことだけを考えて行動しろ」というものでした。そこには大手企業も、年齢も、そんなプライドなど介在する余地はありません。それまでの1年間、私は知らず知らずのうちにちっぽけなプライドを守ることに躍起になりすぎていて、自分勝手な言動ばかりしてしまったことに気付かされました。
それからは、どんな方とコミュニケーションを取る時でも、相手の事を第一に考える事を意識するようにしてきました。例えビルの警備員さんなど、社員以外の方が相手であったとしても。そうするうちに、少しずつ色々な方との会話が増えてきました。声をかけてもらえる事も多くなり、仕事の後に飲み会に誘ってもらえたり、息子と同世代の若者から、親父役としてアドバイスを求められるような場面も出てきました。
これからも、自分が働けなくなるまでの残り数年間を、「困っている誰かのために」話を聞いて、相談に乗ることができるような存在でありたいと考えています。
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