面接とは、本来はありのままの自分をさらけ出し、自分という人間を理解して頂いた上でその企業風土にフィットするのか、職務を全うできるのか、という観点で選考に入ってもらうべきですよね。そうでなければ、入社後のギャップに苦しむことにもなりかねませんから。
とはいっても、面接の場では、少しでも自分のことをよく見せたい、と思うのが人情というもの。例え“ハリボテ”だとしても、面接の数十分間は魅力ある人物を演じきるつもりで臨んでみてはいかがでしょうか。

所詮は「ばかし合い」という考え方
性悪説的な考え方になってしまいますが、面接をいくら緻密に設計しても、たかだか数十分、数時間でお互いの人物を理解する、というフレーム自体にどこか無理があるのは事実。
どうせ正確なジャッジなどできないのだから、面接は「突破してしまえば、入社してしまえばこっちのもの」と割り切り、面接をゲーム感覚で乗り切るという方もいます。
面接の本番ではどうしても緊張してしまう、という悩みのある方は、このくらい極端に考えてみても良いかもしれません。
いざ面接では、普段の自分ではなく、真面目で教養のある別の人格を演じ切るつもりでチャレンジするのです。
演技と思い込むことで、意外と大胆になれるということもあります。人は仮面をつけたりマスクをつけることでどこか別人格になった気がして前向きになれる、という話もありますが、それに近い話かもしれません。
仮に面接の受け答えで失敗してしまっても、本来の自分ではない、演じた自分の「役割」で失敗しただけだ、とうまく他責にしてしまう感覚も持っておいてもよいかもしれませんね。
ハッタリをかまして、ハッタリに追いつく努力を
とあるプロアスリートが「今シーズンは絶対に活躍する、圧勝する」とマスコミに宣言し、実際には自分たちよりも格上の相手に対して「勝てるんだ」と思い込むことでチームを鼓舞し、ビッグマウスに見合うだけの実力を身につけようと猛練習に励んだ結果、本当にリーグ優勝を成し遂げたというエピソードがありました。
面接も、「〜〜の知識はどの程度ありますか?」といった質問に対して、その場では持ち合わせていない知識であっても、入社までに猛勉強して「できます」と言ってしまった自分像に追いつく努力をする、という考え方も時と場合によってはアリではないでしょうか。
企業側も、自社の都合の悪いところはひた隠しに隠し、いい面だけをPRするわけですから、どっちもどっちです。大事なことは、ハッタリをかますとしても、そのハッタリを事実にするだけの努力を後追いで続けることです。
コンプレックスを原動力に
ハッタリをかましてしまった後は、少なからず伝えてしまった理想の自分像と、実際の自分とのギャップに気づきコンプレックスに感じる瞬間があるかもしれません。そのコンプレックスに押しつぶされることなく、そんなコンプレックスなど払拭してしまえるように努力するのだ、という強い気持ちを持つことが大事です。
言葉は「言霊」です。「自分はダメな人間です」と口に出すと、本当にダメな人間になってしまいます。
「私は努力ができます」と言い続けることで、それまで挫折経験しかなかったとしても、“私はできるはずだ”と思い込み、いつの間にか努力している姿のほうが「普通」に感じるようになっていくものです。自分の口から吐く言葉には魂が宿るわけです。
そうだとすると、面接の時には強い気持ちを持って(これまでの事実はさておき)理想の自分像を思い描きながら、その人物を演じ切る。そして、その理想像に追いついていないというコンプレックスを「正しく」感じることによって、明日への活力に変える。(「正しくない」受け止め方とは、“どうせ私には無理だから・・・”と、卑屈になってしまうことです)
そんなサイクルでポジティブに捉えてみれば、面接で多少のハッタリをがつんとかましてみるのも、悪いことばかりではないと思います。もちろん、ウソは基本的にダメなことですが・・・。
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