転職事例集

【異業界への転身、悲運の片道切符かと思いきや・・・】銀行から出向、気づいた新たな価値観。

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バブルの頃に大手都銀へ就職し、コツコツと努力と行内での『ゴマすり」を続け、年齢相応の役職にまではそれなりに順調に出世することができました。

ところがバブル崩壊、『金融ビッグバン』を経て部署の再編が幾度も行われ、最終的には自分も関連企業への出向を命じられました。「片道切符」と言われた出向命令、当然本社に戻る道などまったく見えず、途方に暮れる気持ちで出向先への通勤が始まりました。

銀行から出向、気づいた新たな価値観。




社内にいるのは、敵ではなく仲間だ

新しい仕事は、システム販売子会社での営業部の部長職でした。
これまで支店長代理というポジションで支店内でのノルマ達成に向けて意欲を燃やしてきた私にとっては、あまりにも小さな金額の目標と小さな組織に愕然としました。この歳になって、今更こんなレベルの仕事をするのか、と・・・。

しかし、実際に仕事を始めてみてしばらくすると、社内の雰囲気もだいぶ理解できてきました。営業マン毎にノルマ設定があり、もちろん営業マン同士での切磋琢磨こそあるものの、原則として同じ会社の仲間である、という文化が根づいていました。

銀行時代には、数限られた出世の椅子を争うことで頭がいっぱいで、ライバルのミスには諸手を挙げて喜んでいたり、ライバルからアドバイスを受けたり、こちらから助け舟を出すなんてことは一切ありませんでした。でも、出向先ではそんなギスギスした雰囲気は皆無で、「皆で目標を達成するんだ」という、とても前向きなモチベーションが充満していました。社内で隣にいる人間は敵ではなく大事な仲間なんだ、ということを、とても新鮮な気分で理解することができました。

建前ではない数字に触れる

大手都市銀行のプライドがあり、前職ではノルマ達成は「必達」でした。文字通り、「何をしてでも成し遂げる」ことが求められ、顧客志向には程遠い融資手法を取らざるを得ない実情がありました。

銀行とは『晴れの日に傘を貸し、雨の日に巻き上げる』仕事だ、などと揶揄されることがありますが、まさにそのような状態で、心ある行員は少なからず胸を痛めているものでした。無理やり作り出した融資の実績数字が積み重ねられ、支店としてのノルマ達成に一同は大いに湧き、皆で喜びはしたものの、本心では誰もがハッピーでないことは誰もが感じていて、しかし口にすることもできず、残念な気持ちだけが残っていました。

システム営業の仕事は、良くも悪くも数字にはとてもシビアな世界でした。数字は嘘をつかない。いいかげんなプログラムを組んでしまうと、システムは正常に作動しないのですから、誰もが真剣に向き合いました。建前ではない「生きた数字」に触れることが、こんなにも充実感のある仕事になるのかと、心から感動しました。

行内で「都合の良い報告をするために」帳尻合わせに追われてきた日々を思い出すと、よほどやりがいのあるこの仕事の事が、だんだんと誇らしく感じられるようになりました。



顧客のために、自分のために

本社の融資担当から顧客の紹介を受ける機会も多くなりました。
元行員として、多少は融資に関する話題もあったのですが、多くの場合、お客様は渋い顔をされて「銀行の方は、こちらの苦労なんて知ったことではないのでしょうね」と言われたりもしました。

その一方で、お客様から「(新システムの導入によって)本当に助かりました、ありがとうございました」というお言葉を何度も何度も頂きました。自分たちが顧客に提供しているサービスが、確実に顧客の課題解決に役立っている。そんな実感を得られることは、これまで長い間行員として働いてきても得られていなかったことに気づいたのです。

これまで、自分の子供に「お父さんはどんなお仕事をしているの?」と訊かれても、なんとなく答えづらく感じてはぐらかしてしまってきたことを思い出しました。今なら率直に言える。お父さんの仕事はこれだと。多くの人たちのお役に立っているんだよ、と。そんなプライドが芽生えたのは、大学を出て社会人になってから振り返ってみても初めての感情でした。会社の名前は小さくなってしまいましたが、胸にある誇りは比較にならないほど大きく、自信に満ちたものとなってくれたのです。

家族と暮らす幸せを

もうひとつ、思いがけない喜びもありました。
都銀時代には、2〜3年おきに全国津々浦々、あちこちへの転勤がついて回ってきましたが、出向先では東京本社のみ、今後転勤する可能性がゼロとなり、家族と一緒に安心して暮らすことができるようになったのです。振り返ってみると単身赴任の時期が長く、2人の子供の成長をじっくり見守ることができなかったという悔いや、妻に子育てをすべて任せきりになってしまったことへの申し訳ない気持ちが残っていたのですが、家族で再び一緒に暮らすようになって、これまで以上に家族の絆が深まったことを感じるようになりました。

一度きりの人生で、かけがえのない家族と一緒にいる時間がこんなにも大切なものだったのか、と、モーレツ銀行員時代にはこれっぽっちも考えることがありませんでしたので、新たな気づきでした。バリバリ働いて、出世して、収入を増やし続けること。それこそが、家族を守るための唯一絶対の方法だと信じて疑わなかった自分にとっては、とても新鮮な感情でした。言われてみれば当たり前なのかもしれませんが、実際に肌で感じて、心で受け止めて、初めて気づく感情というのも多々あるのだと思います。

結局、「片道切符」の通り、出向は解除されずそのまま転籍し今に至ります。子供達も大学を卒業し社会に巣立っていくことになり、家を出て今は妻と2人で暮らしていますが、毎日が穏やかで、楽しい日々です。職場を変えることで得られた小さな幸せを、これからも大切にしていきたいと思います。

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