祖父が起業し2代にわたって続いてきた鐵鋼商社は、小さいながらも50年を超える歴史の中で多くの顧客がつき、安定とはいえないまでも堅実な経営をしていました。
幼いながらも父が経営者として悩み苦しむ姿を見てきた自分としては、跡を継ぐことにはあまり乗り気ではなかったのですが、一人っ子でもあり、いずれは継ぐことになるのかなあ、と、漠然と考えていただけでした。

父が大病に。急に事業が傾く
大学を卒業してから普通に就職活動し、とある旅行代理店に勤めて3年目の春でした。健康だけが取り柄だった父が、突然倒れました。緊急入院した病床で告げられたのは、原因不明の難病でした。
仕事はもちろん、生命にも関わる大病となってしまったことで、従業員にも動揺が走り、父だから繋がっていた顧客からは、不安の声も聞こえるようになりました。株式会社ではあっても、所詮は個人商店の延長でしたから、祖父だから、父だからと契約を続けてきてくださった方も多くいらっしゃったのです。
大変なときだからこそ、と、いつもよりも多めに発注してくださるお客様もいたようですが、大半は「あの会社、大丈夫なのか?」と倒産の心配をするようになり、次第に発注量は減少に転じていきました。
一念発起、自分がやるしかない
見舞いの席で、父からは「事業を続けるのは大変だ。これも神様からのお告げなのかもしれない、事業は畳もうと思っている」と告げられました。
息子が事業継承に興味を持っていないことを悟っていたのでしょう。我が子に、祖父や自分が味わってきたつらさを経験させたくないと考えてくれたのかもしれません。
ですが、私は自分が子供の頃からかわいがってくださったベテランの従業員の方々の顔を思い出すと、彼らの雇用を守らなくては、という使命感にかられました。父の会社に長く在籍したことで、もういい年齢、今から転職といってもそうそううまくいかないでしょう。
自分が跡を継ぐとなれば、会社に対する見方もまた違ってくるかもしれません。祖父、父の威光(と呼べるほどのものでもないですが)は、使えるとしたら血を引く自分だけだ。そう考えて、退職し実家に戻る決意をしました。
何も知らない。だからこそ・・・
顔なじみの従業員の方々と一緒、とはいっても、船出はとても心細いものでした。頼りにしたい父は病院にいて、ベテランの皆さんもそれぞれ自分の仕事があり、父から引き継いだ仕事についての多くは「父にしかわからない」ものばかり。顧客先でも「そんなことも知らないのか?本当にあなたで大丈夫なのか?」と、何度も不安そうに言われてしまいました。
ですが、この会社を守る、そう決めた私はもうやるしかありませんでした。
何も知らない、ということがよかったのかもしれないと感じました。なまじ中途半端に自分が関わっていた業界であれば、偉そうに社長面してあれこれ従業員に指示して、反発されていたかもしれません。
ですが、右も左もわからない、だからこそ、素直な気持ちで学ぶ姿勢を持ち続けることができました。少しずつ、従業員や顧客からも信頼されるようになり、仕事を任せて頂けるようになったのは、会社に入って2年が経った頃、でした。
何も言わない父。そこに信頼があった
幸い、父は少しずつ回復し、倒れてから1年後には退院し自宅に戻ってくることができました。会長職に退き、現場に顔を出すのは週に1、2日だけになってしまいましたが、私から相談する時以外は、一切の口出しをしなくなりました。
本当は思うところ、もっとこうしてほしいという想いもあったかもしれません。でも、息子である私に託した事業については、好きなように、思うようにやってみろ、という無言のメッセージなのだと理解し、これまで頑張ってきました。
あの頃父はこんなつらい気持ちだったのか、と、今になって知ることもたくさんあります。そんなことも、親子の絆を深めてくれる要因になったのではないかと思います。3代目の責任を持って、しっかり事業を成長させていきたいと考えています。
その他の関連記事はこちら
facebookページはこちら